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北村昌士氏の訃報を目にしたのをきっかけに、彼が活躍していた80年代の音楽シーンについて、ちょっとネットを徘徊していたら、思いがけずに懐かしい名前に出会った。 それがD−DAYである。 D−DAYとは川喜多美子さんをボーカルとして80年代に自主制作で活躍していた音楽バンドで、彼女の歌声と雰囲気の透明感が印象的だった。パンクを中心にハードな音楽をメインに聴いていた私の耳には、とても心地よくて、お気に入りのバンドの一つであり、当時の私にとって唯一のアイドルバンドでもあった。 90年に活動を停止してからは、FUJIYAMAのHPにある「こう見えて獅子座の女」という川喜多さんの担当コラムでたま〜に見かけるくらいで、そのコラムも最近は更新が滞っていて、ほぼ自分の中では忘れかけていた。けれど、北村氏の一件もあり、久しぶりに見てみたら、何と新しくCDが出ているというではないか!驚くと同時に、早速注文してしまった。 それがこれ、crossed fingers 。 二枚組みのCDで、全公式スタジオ音源の他に、未発表音源まで網羅しているという、私にとっては正に涙もの。前作(といっても1990年だけど)のAll Leavesには収録されていなかったHills Dream なんて一体何年ぶりに聴いたんだろう。 懐かしくて、切なくて、甘酸っぱい思い出の詰まった宝石箱のような音楽。どれもこれも良いのだけれど、音楽以外のことで一言二言、言いたいことがある。 ライナーノートに、1985年埼玉大オールナイトライブで、D−DAYが女パンクスに野次られて立ち往生したという記述があるけれど、同じくその現場に居合わせた者として、私は違う受け取り方としている。川喜多さんは確かに野次られていた。「あんたは、可愛くて美人だけど、それがどうした!」的な、言いがかりにも程がある野次だったと記憶している。でも、川喜多さんが「立ち往生」していたというのは、ちょっと違うと思うのだ。 確かに、彼女は困っていたようだ。けれども、それは立ち往生していたという風には見えなかった。「立ち往生」という言葉から連想される、恐怖感・萎縮感や涙ぐむ感じなんかは、微塵も感じさせなかったのは確かだ。かといって怒るわけでもなく、応戦するでもなく、何と言ったらいいのか思いつかないけれど、「うまく受け流していた」とでも言ったらいいだろうか… それから、確実なのは、野次った女パンクス以外、会場に居たすべての客は川喜多さんの味方だった。あぶらだこやガスタンク目当てに集まっていた北関東のパンクスも、彼女の歌声に大人しく子供のように聴き入っていたのだ。そんな雰囲気を微妙に感じて、その女パンクスも思わず野次を入れたのだと思う。…まあ、あくまでもD−DAYファンの個人的な感想(印象)なんだけどさ。 それともう一つだけ。曲順のこと。 Sweet Sultan の後にはDead End ではなく、Yacht Harbour の方が絶対にいい。これは断言できる。「手のひらの砂時計 僕は当分この遊びにとりつかれたままさ」と川喜多さんが囁いたあとには、Yacht Harbour の悲しく切ないイントロが良いのだ!! そうそう、FUJIYAMAのコラムによれば、最近川喜多さんがブログを始めたらしい。早速、チェックしてみる。MICO'S KITCHEN というタイトルだけど、あまり料理の話は出てこない。昔のコラムではダッジ・オーブンがお気に入りという記述があっただけに、美子嬢のDO料理が出てこないのが残念なところ。でも、料理の話よりもっと面白いのが、当時、川喜多さんが聴いていた音楽や、ライブに行った話。お嬢様お嬢様していた(る?)風貌からは想像できないほど、ハードでパンクなバンド、多くは外タレだけど、を10代の半ば頃から聴いていらっしゃるではないか…。 そんなお方が、そこらにいる女パンクスの野次くらいで立ち往生するか? |
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専門家や海外ジャーナリストのブログネット... 2007/11/05 15:27 |
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